安倍総理辞任表明の真意

今日安倍総理は早期の辞任を表明した。私はその真意を私なりに分析したい。

そもそも「何故安倍総理が誕生したか」、を振り返ってみる必要がある。
安倍晋三議員が、小泉前総理から指名を受ける形で総理に就任したのは、小泉前総理の意図があったと考えられる。それは。
 
小泉前総理は、イデオロギー的には右派であったが、それに加え政治感覚が鋭く、また公務員改革に前向きであった、などの理由で国民から大きな支持を受けていた。
そして5年の総理就任を終え、誰に次期総理を任すかの段になり、安倍晋三の名が浮かんだ。同じ派閥であること。それ以上に安倍が右派だったからである。もちろん安倍の政治能力の低さは誰もが認めてはいたが、衆議院で3分の2。参議院でも連立で過半数を握っていた。仮に安倍の政治手腕が低くとも、次期参議院選挙で過半数を割ることはないと踏んでいたはずだ。
そうであれば、念願の憲法改正を安倍の手で行えるかもしれない、と小泉は考えたはずだ。憲法改正をしたあと、新しい内閣で衆議院選挙を行えば、過半数は獲得するとの思惑だったはずだ。

そういった意図で生れた安倍内閣であった。
また安倍晋三憲法改正、それ一本で突き進んできたのである。それ以外の内政問題は、同じ派閥の中川、当時幹事長らが取り仕切ってくれるはずであった。
それが先回の参議院選挙での、予想外の敗北が安倍を狂わせたといっていい。
もはや憲法改正が危なくなってきたのである。
そこで安倍の次の目標になったのがテロ特措法であった。憲法がダメでも。自衛隊を海外派遣するテロ特措法は、右派の安倍にとって死守すべき法案であった。
テロ特措法を延長または、テロ対策給油新法を通したあと辞任する考えであったはずだ。

さてそのテロ特措法だが、安倍は07年8月中に、臨時国会でテロ特措法を衆議院に挙げていれば、11月の期限までに法案が成立するはずであった。
では何故8月中にテロ特措法を衆議院にあげなかったのか。本来は上げたかったはずである。しかし安倍にとって不運にも、金と利権問題、閣僚の辞任が続いた、などがあり新内閣の組閣が必要だった。
そのため組閣後、何としてでもテロ特措法を通過しようと、執行部では計画した。または計画するより仕方がなかったのである。
そして組閣ができ、いよいよテロ特措法を延長または、新法を成立させるべく動き出したのである。
安倍は、ブッシュと外交約束を結んだ。当然である。安倍にとって、参議院選挙で惨敗しても政権にしがみついたのは、テロ特措法を通過させたい一新だったのだ。そのために安倍内閣が存在するのだから、ブッシュとテロ特措法の成立を約束するのは当たり前のことなのだ。
テロ特措法が成立してもしなくても、安倍は辞職する腹だったから、ブッシュと約束することに何も矛盾はなかったのである。
そして臨時国会が開かれ、11日に所信表明演説を国会で行った。
この時点で安倍はどんなことをしてでもテロ特措法の延長またはテロ対策給油新法を通過させる積りだった。
だがここにきて変化が起こった。それは。
それは、安倍にとってもともとは憲法を改正するのが使命だったのだ。テロ特措法延長は不本意だが、まあ第二の使命と言ってよかった。
それが、テロ特措法の延長が事実上不可能になった。そして次策はテロ対策給油新法であった。しかしその内容に安倍は不満だったはずだ。自衛隊の行動を給油活動に制限すると言う内容に不満を持ったはずだ。
テロ対策給油新法の草案が固まってくるにつれ、安倍は不満を募らせたに違いない。テロ特措法に盛り込まれていた、項目がどんどん削られ、「給油活動」のみに制限させられたからだ。
これでは海上ガソリンスタンドそのものだったからだ。また国会の事後承認項目を入れないとするのにも問題があった。法案の事後承認不要項目は実は、民主党との落としどころで、国会承認は当然入れることになると予想したはずだ。
そうだとすると安倍にとって我慢ならないところにきてしまった。仮に現在のテロ特措法が通過したとしても、それは安倍にとって容認できるギリギリの譲歩であるのだ。それが新法になると、単なる給油活動をするだけのテロ対策給油新法の成立に意欲を失ったはずだ。
安倍は民主党の小沢党首に最後の賭けをした。小沢と直談判をして、テロ特措法の延長を持ちかけたかったはずだ。そのためには多少の譲歩は考えていたかもしれない。
しかし小沢は12日、断わった。
安倍にとって退路が立たれた瞬間だった。安倍のモチベーションは一気に崩壊した。
辞任表明の理由として挙げられる、風邪を引き落ち込んでいたかもしれない。また安倍の面前で、小泉チルドレンに叱咤されたのも頭に来たのかもしれない。しかしそれら2つは単なる引き金に過ぎない。
安倍が辞任表明した理由がもう一つある。それは。
それは枡添厚生労働大臣の人気だった。もともと安倍は自分より目立つ存在の大臣を嫌う性向がある。しかし国会で長妻議員とやりあうには枡添ぐらいの力量がないといけない、との判断から迎え入れた大臣だった。
しかし組閣後、枡添の人気は想像以上だった。このまま人気が大きくなり1、2ヶ月もしたら、時期総理候補の麻生幹事長の人気を越えるかも知れない、と危惧したはずだ。
そうなってしまったら麻生次期総理の予定が崩れてしまう、と考えたに違いない。それが辞任の考えを強めた要因だと考えられる。
また9月下旬の国連の日程を考えると12日が限界だった。
そこで辞任表明をしたと考えられる。
 
枡添大臣の人気が気になっていたかどうかの真偽は、次のことで検証される。
次期内閣組閣で麻生総理が、枡添氏を厚生労働大臣に再任すれば、私の説は間違いであったと。
でも次期内閣で枡添氏が厚生労働大臣以外の大臣、例えば外務大臣に就任すれば、または閣僚からハズされれば、私の説が正しかったと言えるだろう。
なぜらな外務大臣の職であれば国民から喝采をうけることはないからである。麻生新総理にとっては安心だからだ。

ここで与謝野官房長官がやたらと、安倍総理の病気説を語っている。もちろん体調不良はあったかも知れない。しかしそれは正しくない。官房長官がやたらと体調説を吹聴するのは、対外国関係へのエキスキューズだ。ブッシュやドイツ首相らへの、約束していたことを辞任という形で破ったことにたいする言い訳にすぎない。

また派閥の実力者、中川前幹事長と前日30分ほど会談している。階段の内容を想像すれば、2つある。
1つは、安倍が森前総理に、民主党党首との会談の仲介を申しいれていたはずだ。その答えを中川が持ってきたはずだ。しかし答えは、ノーであったろう。
もう1つは、週刊誌で噂される遺産相続問題だ。この週刊誌内容がもたらされた筈だ。安倍は、週刊誌内容を説明したであろう。しかし、この問題について、テレビで報道されることに対し、気苦労を持ったことは充分考えられる。
しかし後者は本質的な問題ではない。
前者の、小沢党首との会談が実現されなかったことに落胆があったはずだ。結局、安倍は止む無く、自分自身で小沢に会談を申し入れることになったのだが。

もう一つ私から心配事を一つ。
私は次のことを心配します。
新総理が国会で承認を受ける今月の19日あたり、安倍前総理が自殺する可能性があると思います。
右派の方はみな自分が武士(もののふ)だと思っています。責任は切腹を持ってすべきとの「葉隠れ精神」を持っています。
安倍在任中に農水大臣が自殺しています。その呵責を安倍は持っていると思います。また全ての責任を取る意味で自殺の可能性を私は考えます。
もちろんこの予測は当たってほしくありません。