日本のフェミニズム

*日本のフェミニズム

 私のつたない渡航経験からアメリカとスエーデンのそれと、日本のフェミニズムについて考えてみたい。
 まずアメリカとくにニューヨーカーのそれは徹底した女性を大事にする主義である。背景にあるものは女性を慈しむ対象と位置付け、また弱者を大切にする考えからもレディーファーストが根付いている。女性を幸せにすることを自分の幸せより上位におく思想は新訳聖書の影響であろうか。女性を車の助手席に迎えるとき、男性がドアを車外から開け、また降りるときも車外から開ける行為は日常茶飯事である。
 一方スエーデンは事情をことにする。男女の差別を徹底して排除しているため、女性を大事にし過ぎるのは逆差別ととられかねない。スエーデンではダンプカーの女性運転手をよく目にする。日本でもみかけることはあるがその比ではない。スエーデンのストックホルムに滞在していた時こんな光景を目にした。
 芝生の植わった広い公園で作業員が芝刈り作業をしていた。男性数人と女性が一人いた。女性はエンジン付きの芝刈り機を始動させようとエンジンスタート用のロープを引くのだがなかなかエンジンがかからない。周りの男性作業員は各々芝刈り作業に専念している。私はその光景を眺め続け20分が経ってもまだエンジンがかからない。しかし周りの男性は誰ひとりとして、その女性を手伝わない。また女性も周りの男性に手助けを求めないのである。40分経ってもまだその光景は続いていた。
 話は少しそれるがスウェーデンの男性と女性の地位についてスエーデン人のであった人と話した時、彼はこう答えていた。「川があるとして向こう岸に渡りたいとき、もし泳いでわたろうとすると、体力に勝る男性は向こう岸に泳ぎ着くことができるかも知れないが、多くの女性は渡れないでしょう。だから法で川に舟を用意するようにすれば誰でも渡れるようになります。」と。
 だからこのばあい、芝刈り作業について男女の差はないのだから、エンジンの始動も自分でやりなさい。という背景なのだろう。

 では日本のフェミニズムの現状はどうだろう。日本は永く男尊女卑の考えが続いていた影響から現在もその考えが見られる。というよりも日本人は育つ過程、教育を受けた過程で、フェミニズム教育を受ける機会がない。だから時に男尊女卑であったり、時に女性への受け狙いからのレディーファーストだったり、またある時は男女平等意識がでたりと、全く統一性が見られない。唯一救いなのは、優しさに満ちた国民性の故に、女性から非フェミニズムととられつつも反感をかうことは少ない。
 もし日本人がニューヨークに住めば、レディーファースト感覚の欠如に、外形のカッコ良くない点が重なって、見事に持てないであろう。かといってスウェーデンのような平等意識もなく非国際化路線をひた走っている。
 バレンタインもクリスマスも教会での結婚式の風習も受け入れるなら、欧米のフェミニズムの風習も取り入れたらどうだろうか。