日本の詩事情

*日本の詩事情

私は詩作を本業としているせいか、ことさら現在の詩界について主張を持っている。その基本は現在の詩界が非常に停滞していて、もっともっと詩界の発展を願っている。この観点から持論を述べたい。

「詩の範囲」
詩とは文字または言葉を用いて作者の感情、メッセージ、等を表現するものであることは言うまでもありません。しかし好ましい詩とは何か、という観点からでは人様々です。私は好ましい詩というものを広く捉えようと思います。文字で書かれた一般の詩に加え、歌謡曲、ポップスの歌詞、演劇・演芸でのリリックな語りも好ましい詩と考えています。

「詩の現状」
詩集の詩が好ましい詩と考えるなら、現在の状況は最悪であろう。本屋の棚から詩集の本が並んでいない状況は、瀕死の状況といえる。しかし私のように好ましい詩の範疇に、歌謡曲の歌詞まで含めれば、現状は好ましい状況である。経済規模の観点からしても、音楽の隆盛の何割かを歌詞部分が受け持っているとすれば、現在の詩の経済的規模は相当大きなものと言えます。たとえば俳句、短歌のジャンルに比べれば遥かに隆盛だと言えるでしょう。ただ文字による詩の分野ではほとんど衰退していると言えますが。

「詩のスタイルとその後」
現在詩というと、清楚なつくりの詩集を思い起こさせますが、これは本来の詩の表現形態の本流であったかを考えると、とてもそうとはいえません。歌謡曲、ポップスが歌詞だけで存在しえないと同様、詩ももともとは朗読詩が本来の姿であり、文字だけでは充分に機能を果たしていないと思う。確かに過去の一時期、文字のみの詩が隆盛だった時期があります。ただそれは、その時期において文字詩の持つメッセージ性だけで充分読む価値があったり、またはその時期、たまたま他のメディアの未発達時期であったり、娯楽の極端に未発達な時期ではなかったか。
古代において発生した朗読詩がメロディを獲得して歌となって、現代の隆盛を築いたのと反対に、文章詩はますます衰退の道を歩んだと言っていいだろう。

「詩の今後」
今こそ詩は人の生声(朗読)手段を獲得し再起をはからなければならないと思う。さらに視覚効果を高めるため映像、イラストの背景画面を活用してもいいだろうし、さらに器楽のメロディを添付してもいいだろう。従来は音声化するのが難しい側面があったが、近年のインターネットの発達は、動画の技術をえて、朗読詩の発表が可能になった。これはとても大きなことだと思います。私はかって朗読詩のリサイタルを開催したことがある。その経験から言えば、文字だけの詩に比べ、朗読詩は比べ物にならないほどの感情伝達性をもっている。逆に言えば、朗読詩に不向きな詩は(たとえばメッセージ詩や難解な詩)多分大衆の支持を受けないであろうから、好都合である。

「更なることとして、歌の作詞部門への挑戦」
詩のジャンルに冒頭、歌の歌詞も含める提言をしたのは、詩がもっと歌の歌詞部門に積極的に参加したほうがいいとの希望が込められている。このことにより詩が大衆性を獲得し、一層幅広い詩人の登場が期待される。

「詩の評価について」
現在の詩の評価は、詩界における実力者によって格付けされることが多い。このことは一歩間違うと読者の評価と、実力者の評価がギャップを生じることが考えられる。私の持論を述べれば、現在の詩作を評価する視点が、難解をよしとしていたり、メッセージ性を重要視していたり、教育性の偏重だったりする。そのことが文字詩に限っても、発展を阻害していると断言する。ともかく詩の評価は読者に任せるのが一番である。方法としてた読書による投票による評価(たとえばブログ投票)が間違いがもっとも少ないといえる。

「結び」
あなたが恋人に自作創作詩をプレゼントするとしよう。そのとき、紙に書いて贈ってもいいが、そうじゃなくて暗記して朗読してあげたら、相手の人はもっと喜ぶことでしょう。恋人に限らず、詩の読者だって同じことが言えるはずです。同様に、朗読に不向きな難解な詩を贈ってもあまり喜ばれないでしょう。詩の読者だって同じことが言えるはずです。朗読詩がすばらしいものであると分かれば、もっともっと幅広く詩が愛されると思います。