イコール&セクシー

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*イコール&セクシー

既に日本でも根付き始めた、「男女平等で、しかもセクシーに」の生活習慣を、あらためて「イコール&セクシー」のキャッチコピーとして提案したい。
男女平等とセクシーには、時として矛盾があるのではないかと指摘される。セクシーになることが、たとえば女性の場合、相手の男性に性的にかしづくのではないかと言うのだ。例えば田嶋陽子参議院議員が「結婚して専業主婦になるのは、夫への隷属を意味する」との発言があった。
彼女の趣旨は、経済的自立なくして女性の自立はない、と言いたかったのだろう。しかし彼女はセクシーになることは、女性の社会的地位を低める、との意味も込められているようだ。田嶋氏は、歴史的事実に照らして発言して見えるので、彼女の指摘は当たっている面も否定できない。だったら何とか知恵を出して、そうならないように考えればいい訳だ。
イコール&セクシーの生活態度は、基本にイコール性(男女平等)の考えがあるから、「セクシーに」の意味するものは、美的表現の意味であったり、互いにハッピーになるための表現で、決して異性に媚を売るものではない。男性が、セクシーな女性を見て「俺に媚を売っているなと」勘違いしたとしても、それはその男性自身の問題なのだ。
例えば国語で、尊敬語と謙譲語と美化語があるが、謙譲語を使うことが必ずしも相手に対してヘイコラすることではない。相手が平等意識を持っていれば、決して見下すことはない。この例では、セクシーさはむしろ美化語に相当しよう。
問題はイコール性だ。男尊女卑の考えを持った人はこの際除外するとして、男女平等思想を持った男性でも「性的には男性は女性を支配するものだ」との考えは一般化している。この考えは生物一般に言えることを男女の関係に関連付けていると思われる。動物の多くはオスが主導権を握り、特にメスを得る場合はライバルとの戦いに勝利して初めて得られる。だから人間もその習性を持っているはずだ、との連想だ。男性の性と、攻撃性を一致させる考えだ。
確かにそういった男性を多く見かけるし、女性でも責められることに性的興奮を覚えられる方もいよう。そして、この性的な行動領域と、男女平等化した生活領域とが分離できず、全体が男性に隷属してしまう、いわゆる田嶋理論になってしまうのだ。
確かに性的領域と生活領域とを分離して考えようとする場合、一人の人間の中でのことだから、難しい場合があろう。
そこで私の提案だ。1回のセックスを、責めと受身の両方を交代で行ったらどうだろう。前
半を女性が責め、後半を男性が責めるといったように。(とてもプライベートな問題に立ち入っていますが、あくまでも社会学の観点からの提案ですので御了解ください) 
私の経験では、交代することにより、責めの感覚と、受身の感覚が、体内で融和し、平等意識と妙に合致しました。もともと男性でも女性でも、反対の性的性を持っていると思います。責めと受身の交互プレイを実際に体験してみると、仮想した違和感がないのに気づきます。また女性の場合も、内包している攻撃性が、発散・開放され、精神的にはプラスになることが多い。
ほかの生活面では、最近は男性が料理をしたり、または(私の場合がそうでしたが)料理がへただから食事の後片付けを分担するとか、かなり分担化が浸透していると思います。実際の家庭では、多くの場合、奥様が指導権を握っている実情をみると、家庭生活では男女平等化が進んでいると思われます。しかし欧米のようになるためには、早い教育段階で「男女平等の本当の意味」を教えることが必須だと思われます。