嫉妬(二元論による)

*嫉妬/by二元論

男女の嫉妬については「男は順位に嫉妬し、女は存在に嫉妬する」と言われる。説明しよう。男が女性を好きになったとしよう。ところが相手の女性に、自分以外に好きな人がいたとする。当然男は嫉妬する。だがライバルの存在は消極的ながら認めるのだ。そのライバルが自分より上位か下位かで嫉妬の程度が変わるというのだ。
他方女性は、相手の男性に自分以外に好きな人がいたら、自分より有利不利に関係なく、自分以外にライバルは居てほしくないと願う。ライバルが居ることに嫉妬するのだ。
数年前の私の経験談にお付き合い願おう。当時好きだった女性がいた。しかし彼女には別の男性が居た。私は嫉妬の炎に燃えた。しかし、誰を選ぶかは彼女の選択だ。ましてや後発の私がとやかく言えなかった。ここで諦めたら元も子もないから「順位の原則」を認めざるを得なかった。そればかりか、時には彼女のライバルに対する不満の聞き役すら演じていた。ただ彼女と会っているときだけはライバルの存在は意識になかったが。暫くして、私を好いてくれる別の女性が現れた。そのことを彼女に話した。そしたら驚いたことに彼女は私に、「その女性とは会わないで欲しい」というのだ。私は心の中で「自分は複数の男性と付き合っておいて、私には駄目だと要求するのは矛盾だ!」と叫んでいた。しかし惚れた弱みで彼女の言うままに従った。
人は自分のすることは、相手にも許すという性向がある。例えば、自由に生きるポリシーを持った人は、相手に対しても自由に生きることを認める、というものだ。この原則を当てはめると、男性は複数の女性と付き合いたい願望を抱き、女性は唯一人の相手と付き合いたいと願う、と言えようか。(あくまでも原則の話で、唯一人の女性を愛する男性をたくさん知っているし、その逆の例も承知しております。)
あれ、そうだとすれば私の経験談に矛盾が生じる。彼女は複数の男性と付き合い、しかし相手の男性には浮気を禁止するのだから。
彼女の立場を弁護しよう。彼女は、複数のと合っていたが、愛する人は唯一人だった。ほかの男性は恋愛予備生なのだ。これで納得だ。
私が彼女に、「私を好いてくれる女性が居る」と話したとき、彼女は私に聞いた。「相手の女性とは、恋愛? それとも非恋愛の関係?」と。私が「恋愛」と答えると、彼女は私を肯定した。もし非恋愛と答えていたら、股間に蹴りを喰らうところだった。
しかし世の中、人様々で、知り合いの或る女性は違っていた。彼女の持論は、相手の浮気が、気持ちの入った関係なら許さない。でも外国旅行で遊ぶようなことは構わない、というのだ。この女性も、この女性自身の恋愛原則の反映であろう。
さて嫉妬の話に戻そう。シェークスピアマクベスは嫉妬をテーマにした戯曲で有名だが、そのテーマ故にヨーロッパではシェークスピアではマクベスが人気ナンバー1だとか。
嫉妬とは仮想失恋の痛みと、メラメラ燃えるライバルへの敵対感情のミックスである。仮想失恋は恋愛中のことだから、嫉妬は恋愛関係下での感情のひとつと言える。寿司で例えればワサビの役割であろうか。
さてここで本題の二元論を展開すれば。嫉妬の感情が起こるのは、「仮想失恋感情」と「恋仇へのライバル感情」とが合わさったときに起こる。失恋したら大変だ、憎いのはあのライバル野郎だ! それが嫉妬だ。マクベスはライバルを殺す代わりに、愛する女性を殺した。私の理解を超えた行動である。そういえば日本の阿部さんもそのパターンだった。
結局、男は浮気性で、女性は一途と言う古くからのステレオタイプに結論付けられてしまった。確かに人間がまだ四足歩行していた頃は、こういった習性を持っていただろう。しかし人間が強い精神性獲得した現代においては、男性も女性も契りを交わした以後は、互いに唯一人を愛し続けることが肝要である。