手鏡没収!

何とも笑える判決がでたものだ。植草先生に裁判官からの精一杯の諭し判決だ。同時に押収したハンカチは、涙を拭くのに使いなさい、の意だ。
警察は、時々有名人をみせしめと宣伝を兼ねた逮捕・起訴する。今回の植草先生の場合は加えて、当時民主党寄りの発言があったことも、逮捕の遠因になったかもしれない。
しかし植草先生のやったことは許しがたい行動だ。しかも教育に携わるものとして恥ずべき行動だ。罰金50万円は低すぎると言える。
アランパーカー監督の映画「デビット・ゲイルの生涯」では、有名教授が女子学生に成績不良で単位を与えなかった。そしたらその女子学生は教授に仕返しを企てた。教授に付き合ってもいいと言い寄った。まともに受けた教授は女子学生と関係を持った瞬間、学生はレイプを受けたと訴えた。結局教授は職を追われ、他の理由も重なり彼は死刑判決を受けるに至る。
その例に比べ、植草先生はまだまだ再出発が可能だ。この際、きちんと謝り、出直して欲しい。植草先生はダメモトで高裁に控訴するだろう。先生にしてみたら判決は「犯行に及ぼうとした…」と言っている。だったら無罪も有り得る、と思いたいのだろう。また同様な犯行をして無罪の人がいっぱいいるではないか、と主張したいのだろう。しかし先生が今後も講演などをするつもりなら、ここは大衆と女子高生に謝り、罰金を即納したほうがいい。
さてここからが本題である。過去の私のブログ日記(タイトル=イコール&セクシー)でも提示したが、時代の流れは、「男女平等で表現はセクシーに」、である。だから女子中学生や女子高校生のスカートの丈が短くなるのは止められない。校則では長い丈の決まりだろうが、当人たちは心得たもので、決められた裾丈から遥かに短い丈になるよう、巻き上げるのだ。中には短い丈に作り直す例もあるだろう。学校側も茶髪対策で手一杯だからスカートの丈までは手が回らない。
問題は男女平等意識の欠如だ。植草先生の場合、見ず知らずの女子高生のスカートの中を覗こうとしたのだから、平等意識は皆無だ。平等意識とは男女の給料が同一労働同一賃金のことだけではない。異性に対しても相手の人格と個人を尊重することだ。ただ衝動のおもむくままに、スカートの中を覗こうとする行為は、蔑視思想だ。戦前は、非イコール&非セクシーだった。いわゆる男尊女卑&露出禁止の時代だ。
ファッションはあっという間に広がるが、平等意識はなかなか変われない。結果として、時代はセクシーだが、しかし意識は非イコールといった時代錯誤の人がはびこることになる。そのような人がこう言った事件を起こす。
平等意識教育は、時には戦前の教育の反省に触れる。また社会学の要素があり、計量経済学などとは馴染まない面もあり、ついつい軽視される。私は、植草先生の事件は教育の偏重が原因と言い切る。