クールビズの思わぬ効果

服装習慣も日常化すると、その服装の持つ効果をしばしば忘れがちになる。サラり−マンのネクタイがまさにこれであった。
クールビズが叫ばれる以前では、ネクタイは男性の厄介物扱いさえ受けていた。世評では、日本のサラリーマンのスーツ・ネクタイ姿を、「どぶネズミルック」とか「さえないサラリーマンの象徴」として時には扱われていた。
それがどうだ。クールビズがちらほら散見するようになると、ノーネクタイのサラリーマン姿が、何とも様にならない、ただのおっさん姿と見られるようになったではないか。
もともと少数のセンスのいい男性は、スーツにネクタイ姿であろうが、ノーネクタイのファッション・シャツ姿であろうが、区別なく素敵に見えるのである。
問題は大多数の、ファッションと縁もゆかりもない男性だ。今にして思えば、センスが悪かろうが、適当なネクタイを締めていると、そこそこにまとまって見えていたのだ。それがクールビズの掛け声に踊らされた哀れなお父さんは、ノーネクタイの普通のワイシャツ姿でセンスなどをパタパタさせると、何のことはない家でくつろいでいるそのままの姿で、オフィスにワープすることになってしまった。
こうなると、がぜんネクタイの効用が見直されるではないか。たった1本の布切れが、さえないお父さんを、何とか事務所の戦士として存在感を植えつけてくれているのである。ある意味今がチャンスだ。
他のサラリーマン諸氏がノーネクタイのおっさんスタイルでいる間に、飛び切り派手でシルク地の滑らかな感触のネクタイを、しかも宝石まがいのタイピンなんかをあしらってアピールしようではないか。事務所で目立ちに目立って持てること請け合いだ。
そもそも今回のクールビズは省エネが目的のはずだ。だからスーツを脱いで、できれば半そでのシャツを着用するには意味がある。涼しくなった分だけ冷房の設定温度をあげられ、その分省エネになるのだ。しかしネクタイをするしないは省エネとは本来関係がないはずだ。
政府広報はネクタイを外しただけで体感温度2度下がる、といっていた。あれはウソだ。ネクタイを外しただけで2度も体感が下がったら、スーツを脱ぎ、半そでシャツに替えたら10度も体感温度が下がることになる。そんなに下がったら、事務所の全員風邪を引いてしまうことになる。冗談も休み休みにしてもらいたい。
そもそも繁華街の中心で、夜ともなればネオンや看板の光が煌々と輝いているではないか。電力会社は、オール電化とかなんとか言って、電気製品を売りまくっているではないか。おかしいではないか。
サラリーマンにとって、ネクタイ、名詞、携帯電話、これが3種の神器である。