シリーズ:おかしいじゃないか・その3 「大相撲」

 大相撲を格闘技の範疇に入れるかは疑問があるが、格闘技の時代の変化をもろにかぶっている。日本で行われている格闘技の殆どのチャンピオンは外国人が保持している。
 K1、プライド、重量級ボクシング、などなど。外国人が身体能力が格闘技に適していることとかハングリー精神が旺盛などが理由に上げられている。
 しかし日本の格闘技ファンは選手の国籍にはあまりこだわらない。強くあれば彼等に惜しみない拍手を送る。
 さて日本の大相撲だが、この国際化の波をまともにかぶっている。生まれが日本の横綱を探してもなかなか見つからない。
 巨漢のハワイ勢、ごう力のモンゴル勢、筋肉質の欧州勢、粘り強い南太平洋勢、と多彩だ。暫くは日本勢の出番はない。
 保守的と思われていた相撲界も知らぬ間に国際化を進めていた点は評価したい。
 さて本題だ。日本の大相撲は独特なルールを持っている。他の格闘技ではまず見られない特殊ルールだ。ずばりリング(土俵)から出たら負けというルールだ。おかしいじゃないか、このルール。どうして土俵からちょっと出ただけで負けになるのだ。押し出しってなんなのさ。土俵から出ていけなかったら、麻の縄で出られないようにすればいいじゃないか。
 ボクシングだってプロレスだってロープを張っているじゃないか。日本発祥の柔道だって、マットから出たら中央に戻されるだけだ。それが普通だろう。
 相撲の原型とされるモンゴル相撲や柔術と合体させた沖縄相撲だって、そんなルールはない。闘鶏だって闘牛すらこんなのない。
 日本の大相撲だって古くはこんなチンケなルールはなかった。古く鎌倉時代では土俵はなくぐるりと取り囲んだ見物人がロープの役目をして、倒れ込んできた力士を中央に押し返した。これが格闘技の正しい姿だろう。
 その後二重の土俵が設けられたが、土俵から出ても負けにはならなかった。
 しかし柔道でも分かるように、力が均衡した選手同士の試合は、ときとして膠着状態となってしまう。いわゆる水入り相撲だ。当時も膠着取り組みが続発して、観客のブーイングにさらされたという。
 さあそこが分岐点だ。この問題の解決は2つしかない。1つはロープで囲いをする。2つ目が現行の、土俵から出たら負けとするものだ。時は江戸。武士道華やかな鎖国時代だ。当然江戸幕府のスボーツ担当代官がでしゃばったであろう。「土俵を鎖国の大和の国に見立て、また武士道らしく土俵から出たら潔く負けじゃー!」と叫んだかどうかは分からないが、ともかく土俵から出たら負けのルールが決定した。
 ルールが決まるまでは力士は豪快、強腕の猛者揃いだったから土俵ができ急に面白くなった。当時は小錦関のような脂肪の固まりの力士はいなかった。皆、筋肉質だった。土俵ができても力士達は筋肉質のバリバリだから取り組みは迫力満点だった。
 しかし時代は過ぎ、だんだんと土俵ルールに合った相撲が形作られていった。体重重点主義の台頭だった。ともかく体重を増やし、その体重の利点で押し出す相撲スタイルの定着だった。病気になろうが怪我をしようがお構いなし。相撲の練習も朝方少ししたあとはひたすら食べ、ひたすら眠る、養豚方式だ。勢い力士は筋肉質から脂肪質に転換した。
 その間、小柄で筋肉質の貴乃花のような力士が散発的に現れ、人気を博したが、基本は脂肪質の重量力士の世界だ。
 私は以前から現行の直径15尺の土俵を19尺に広げる拡大論者だ。しかし現在の親方連は重量路線で育って来ているから相撲改革に消極的だ。
 ハワイ勢が横綱を独占した時期でも相撲改革の声すらでなかった。一場所だけ俵一個分土俵を広げたことはあったが、気まぐれで実施した感はぬぐえず話題にも登らなかった。
 しかし朝青龍や欧州勢が横綱を独占すれば筋肉質力士の土俵制覇が起こり相撲は面白くなる。ちょうど現行のルールが決まった江戸時代のときのような。
 しかし、その後再び脂肪重量時代をきっと繰り返すことを予見するとすれば、やはり土俵改革を今進めなければならない。具体的には19尺への拡大か、一気にロープ設置だ。
 しかしよく考えてみたら、私は大相撲を見なかった。まあ15尺(4.5メートル)でも19尺でもどっちでもいいか。