シリーズ:おかしいじゃないか・その1 「家庭電話」

 我が家にも電話線が引かれている。「はーい、もしもし」とやって都市内では3分8.5円だ。100キロを越えると一律22.5秒で10円かかり、3分で80円必要。
 しかしADSLという、同じ電話線を利用するブロードバンド通信は、使い放題で基本料金を除けばタダだ。同じ電話線を使っていながら、通信がタダで、通話が有料というのは納得いかない。
 これっておかしくない? 絶対おかしい! というか高すぎる!NTT電話が。
 我が家はパソコン用に電力会社系の光ケーブルを引いている。それにはIP電話機能が付いているので、電話回線が2つあることになる。2つもあってもったいないと思ったから、一度NTTの電話回線を解約しようとした。そしたらNTT電話会社は「IP電話では110や119はかかりませんよ」と必死に防御作戦にでてきた。確かに警察や消防署に電話がかからないのは困るので、その時は解約はしなかった。
 その後光り回線業者も改良の努力を重ねた。そして警察や消防署へもかかるIP電話を我が家に提示してきた。
 もう迷うことはない。私はNTT電話会社に解約を申しあげた。NTT電話会社からは「5年間、電話回線を残します。料金はかかりません」という通知が来た。これでバカ高いNTT電話会社と縁が切れてほっとした。
その後光り電話を利用して電話をかけているが、使用する上での不便は一切ない。特に通話料金が安くなった。全国どこでも3分8.5円だ。携帯へは1分20円。もし相手が同じ回線業者同士ならタダで喋り放題。
 NTT以外の会社がこういったサービスができるのに、どうしてNTTは出来ないのだ? 答えろNTT! いや答えなくていいNTT様。もう解約しちゃったから。

日本の'05年体制

 小選挙区制が日本に定着し、自民党民主党による二大政党制が固まった。
 世界を見ても社会主義国は中国、北朝鮮ベトナム、東欧など少数となった。中国にしても体制は社会主義だが経済は市場経済を採用しているから北朝鮮のような社会主義統制経済とは異なる。
 このような情勢下で国民は資本主義の安定を実感し始めた。いわゆる’55年体制の終焉だ。
 そして国民の関心事は体制選択の段階を脱却し、資本主義の中での経済政策の選択に入った。経済政策の選択といっても所詮は自分の立場の擁護に終始する。その関心事とは、ちょうど油と水の混合液が二つに別れるように、国民の関心事はある事の違いを境に上下に分離する。
 その境とは経済的富の攻めぎあいだ。具体的に述べると貨幣財産のあるなしだ。早い話が財産のある層とない層のせめぎ合いだ。
 従来およそ5千万円を越える貨幣財産所有者はいわゆる保守層に帰属し、日本の社会主義化をブロックする役割を演じてきた。
 しかし近年、銀行の合併が進み1行1千万円の元本保証で総額5千万円の保証が危なくなってきた。おまけに郵便局まで民営化された。
 現在なら数行に分散預貯金すれば5千万円の保証はあるかのようにみえる。しかし近年雲行きが怪しくなってきたのだ。銀行の統合合併が進み3行程に集約されるのも長くはかからない。勢い預貯金の保証額も1人3千万円とか2千万円とかになってしまう。そんなことになったら5千万以上貨幣財産家にとっては一大事だ。
 そもそも預貯金が危なくなったのは年間35兆円にも上る国債の発行だ。しかし赤字国債を少なくすると経済成長が止まってしまう。かといってこのままのペースで赤字国債を発行し続けたら、国債価格が下落し金利が上昇してしまう。
 ではどうするか。選択は2つしかない。従来どうり国債を発行し続けるか、あるいは消費税アップだ。高額貨幣財産家は消費税アップを主張し、逆にそうでない国民は現行の国債増発路線を主張する。
 この3年間、高額貨幣財産家はじっと小泉政権赤字国債増発路線に我慢してきた。経済が立直りかけているのに消費税アップは言えなかったのだ。それが経済がほぼ回復基調に乗った昨今、もう赤字国債増発路線は嫌だと主張し始めたのだ。
 最近の某新聞社の世論調査でも、消費税アップ容認が50パーセントを越えた。一方消費税アップ反対の無財産家は意気消沈だ。先の小泉政権の圧勝選挙でパンチを食らわされ、頼みの社会主義政党は弱小し、民主党も年金財源に消費税アップを主張している。
 しかし民主党は消費税アップ反対の無貨幣財産家の声が大きくなるにつれ、彼等の意見を取り入れる方向に舵を切るだろう。結局消費税アップ反対の民主党と賛成の自民党との闘いとなる。
 共産党は無条件反対。公明党はアップ率を下げる役割をになうであろう。先回の衆議院総選挙で経済政策の成功が原因で自民党が大勝した形をとっているが、自民党への投票者は無意識で、消費税アップを望んでいたのだ。何年か前の参議院選挙では民主党が、年金資金とは言え、消費税アップをマニフェストに載せながらも議席を延ばした理由もここにある。
 '05年体制はある意味「活況」の体制だ。司法界では保守政権の安定が固まり、体制を危惧する必要がなくなり、裁判官の思いどうりの判決がだせるようになった。今後衆参選挙における定数問題にも裁判所は従来の慎重な姿勢とはことなり、思い切った判断を示してくるだろう。先の大阪高裁の「小泉総理の違憲判断」もその流れである。
 経済界では労働組合からの開放を勝ちとり、もはや経営者は労働組合に何の気兼ねもする必要がなくなった。労組対策から開放された経営者は、今後思う存分経営に専念することができる。そして優勝劣敗の経済原則に没頭することができるようになった。
 マスコミはもはや体制対立記事は魅力を失い、エンターテイメント路線に突入した。政治そのものをエンターテイメントとして扱うようになってしまった。
 ヨーロッパの中で一人イギリスが親米路線をとっているように日本はアジアの中で一人親米路線をとり続けるであろう。米英日連合と、独仏中連合のせめぎあいだ。
 さて話を冒頭の消費税問題に戻そう。衆議院議員の任期はあと丸4年ある。小泉総理の後継者が消費税アップを断行するのに何の障害もない。参議院で消費税アップ法案を否決しても、衆議院で3分の2を確保している与党はらくらく通過できるのだ。
 もはや消費税アップを食い止める手段はない。無財産家のできることといったら、与党に「お願いだから消費税を、せめて7パーセントか8パーセントに抑えて下さい」とお願いすることぐらいだ。
 こう考えると無財産者は救いがないように思われるかもしれない。確かに現実はそうであるかも知れない。しかし裁判所は幸い政府から独立していて、中立の立場で庶民を守ってくれる。またすっかり体制に擦り寄ったマスコミに対立して、インターネット・マスコミも発達しつつある。決して暗い未来ばかりではない。

人気政治手法の善悪

 小泉総理大臣は国民の評判を気にする総理である。内閣支持率で40パーセントを下限と捉え、40パーセントに近づいてくると、外交や経済政策を総動員させ人気回復に努めてきた。
 この手法はアメリカの大統領が従来から採用してきたものである。確かに内閣支持率が高ければいつ総選挙を行ってもまず負けることはない。また国民の支持率を後ろ盾に、大抵のことは主張を通せる。国民あっての政治だからである。
 しかしアメリカの例でみると、常に人気政策を採っていれば、永久に共和党とか民主党の政治が続くはずである。しかしアメリカ大統領の歴史は、ときどき政党が交代している。これはどうしてであろうか。
 人気政策の良いところは、国民の支持が高いため、悪政がなされていない証拠だから、いい政治が続けられている証拠である。善政に越したことはないのである。
 ではマイナス面は何であろうか。ここがポイントである。
 ここで内閣支持率とは短期的視野での支持率のことである。決して10年先、20年先を見越した支持率ではない。目先の人気投票なのだ。
 例えば、家庭での話で考えてみたい。
 ある旦那さんが、奥さんに内緒で借金をしてお金を工面したとしよう。そして旦那さんは奥さんのため、美味しい食事や高いブランド品を買ってあげたとしよう。当然旦那さんに対する奥さんの評判は高くなる。
 しかしいつまでも借金は続けられない。いつかは家計が破綻するわけである。そのときは、奥さんは今までのことはすっかり忘れ、旦那さんを叱咤するであろう。旦那さんの評価は最低となる。夫婦の危機を迎えるであろう。
 このことを政治に当てはめてみよう。小泉総理は就任以来、毎年35兆円ほどの借金を重ねている。お金の捻出先は、国債の発行である。国家予算の3分の1強のお金を毎年借金しているのだ。国債の先をたどれば、国民の預貯金である。
 国民からしたら、年間35兆円の借金を、税金からとったらどうなるのであろう。当然消費税だが、35兆円を消費税に換算したら15パーセントほどに相当する。だから国民にとってこんなありがたい総理大臣はいない、と大人気なのだ。小泉総理は任期中は消費税を上げないと公約している。こんな総理は神棚に飾っておきたいくらいありがたいのだ。
 しかしこの政策はいつまでも続けられない構造を持っている。国債金利上昇という危険要素を持っているからだ。金利が1パーセント上昇すると、仮に800兆(債務総額)の借金だとすると、金利の上昇分だけで8兆円にも登る。消費税に換算して3パーセントほどだ。
 またお金持ちの層からも不満が出てくる。なぜなら数千万円貯金している人は、その額の何割かは引き出せない性質のものだからだ。もし大勢の預金者が一斉に大金を引き出したら、その現金を用意するため紙幣を大増刷しなければならない。そんなことしたら大インフレがおこってしまう。
 だからお金持ちの層は、消費税をもっと上げろと要求する。要するに歳入の不足分を、消費税からとるか、高額預金者の預金からとるかの二者択一問題だからだ。
 小泉総理は国民に大判振る舞いをして人気を得てきた。しかし、そんな借金政策が何年も続けられない構造になっているのだ。だから内閣支持率40パーセントをいつまでも維持はできないのだ。いつかは増税政策をとらざるを得ない。そのときは、必ず内閣支持率は40パーセントを割り込むのだ。
 アメリカでは、内閣支持率が低下し始めると、ときどき戦争を始めた。そうすることで目先の関心をそらすのだ。大統領選挙まじかに戦争を始めれば、大統領選挙中は戦争が継続しているから、国民も大統領を続けて支持せざるを得ず、結果として引き続き大統領を続けられるという仕組みだ。
 さて日本ではどういった目くらまし政策が考えられるであろうか。小泉さんは「構造改革」という作戦を編み出した。しかし国民は構造改革増税を天秤にかける。そして増税がたまらないと判断したとき、内閣の支持率はドンとさがるのである。
 アメリカ大統領の例では、経済政策と戦争による自国民の犠牲者数を天秤にかけるのである。
 先の衆議院総選挙で大衆は、消費税を上げずに、うちでの小槌のように財政支出をばら撒いた小泉総理にはヤンヤの喝采を送った。その財政支出の原資が、やはり国民の預貯金であっても、それは当面の問題ではないから良しとしたわけである。
 しかしそろそろ消費税アップとか増税の話題がちらほら聞かれるようになってきた。小泉総理は任期延長はないと明言しているが、明言しようがせまいが、そろそろ人気下降局面に入ったと私は見る。

裁判官に感謝

戦後60年。日本は戦争を起こさなかったし、他国から攻撃もされなかった。私は幸いにして今のところ、戦争の体験が全くない。この歴史的意味は凄く大きく意味深いものがある。
ではこの日本の平和を守ってきたのは誰だったのだろう。戦後60年目にしてそれがはっきりしてきた。 ずっと政権の座にあった自民党? そんなことはありえない。自民党は一貫して憲法改正を願ってきたし、アジア周辺で起きた戦争にも反対したことはなかった。
では日本のマスコミ?
そう答える人はまずいないであろ。右系新聞社は好戦的であることは万人認めるところだ。左系といわれる新聞社だって所詮株式会社だ。政府から新聞社の「痛いところ」をちくちくされたら、堪らず言い含められよう。
戦前は全ての新聞が戦争肯定というより、政府の広報機関だった。その基本構造は今も変わっていない。
政党はどうだろう。残念ながら「平和」を唱える政党ほどその国民支持率は落ちている。それは平和を唱えると平行して、他の政策実行に努力しなければならないところ、平和の掛け声ばかりで他の政策をおろそかにするから国民の支持が得られない。
では憲法9条が日本を守ったのだろうか。近い!
正確にいうと憲法は曖昧な表現だから破ろうと思えばいつだって破れる。どんな戦争だって、自国を防衛するための先制攻撃だ、と理由づけをすれば、すべての戦争が合憲化される。先のイラク戦争でのアメリカがいい例だ。
日本の平和を守ってきたのは、ずばり裁判所であり裁判官だ。
政府も裁判所だけは恐いから、従来の判例を重視せざるを得ないのだ。
有り難いことに三権分立で裁判所は政府と対等の立場だ。逆にいうと政府と対等の権利を持たないと信頼出来ないということだ。
裁判官には司法権にふさわしい人が選ばれ、またその地位も保証される。
アメリカの陪審員制度は私は反対だ。陪審員である大衆に判断がゆだねられるが、陪審員を誰にするかは恣意的だ。結局権力者が有利になるからだ。
社会生活上の判断は陪審員制度でももいいかも知れないが、宗教、防衛、経済などの社会生活からかけはなれた案件に対して、大衆に判断を任せていいかは問題がある。
選挙制度についても1票の格差是正に対しては、立法府は無力だ。自党の都合のいいことばかり主張してきた。
最高裁裁判官は右寄りだ、と言われるかたがいる。私もそう思う。しかし右系でもいい。戦争に反対し、政府に対して「戦争は駄目だ」と言えるのは裁判官しかいないのだから。

裁判所の爆発

 永い間、最高裁を初め下級裁判所は欲求不満にあった。本来は法理論にのっとって憲法判断を下したかったのだろう。それができなかったのは、裁判所も日本国の実情をを考慮していたのだろう。裁判所の判断が、現保守政党を転覆する手助けになるのをずっと避けてきたのだ。
 それが今回の小泉自民党の大勝で一気に開放されたのだ。またどうも二大政党時代というものが日本に根付いたと実感しはじめたらしい。そうなれば誰に遠慮もなくなったのだ。法理論に基づいて憲法判断を下せばいいと思い始めた。
 先の、外国在住の日本人の選挙権行使の違憲判断も、その流れからきている。また今回の下級裁判所による、「靖国参拝違憲論」もその流れだ。特に今回の大阪高裁の靖国違憲判断は、先のライブドアの時間外買い付け劇に似ている。
 それは政府の最高裁上告ができないことを承知の上での違憲判断を出したのだ。勿論訴えた台湾人が上告しなければの話だが。なぜかというと、今回の大阪高裁の案件は国側の勝訴だから、国側は上告できないのだ。だからもし台湾人が最高裁に上告しなければ、大阪高裁の判断が確定する。すなわち小泉総理大臣の過去数回の靖国参拝違憲とすることが確定するわけだ。
 そもそも小泉総理大臣は、ものごとをはっきり言わない主義の人だ。確かにはっきり言わないほうが、その責任は曖昧になる。のらりくらりと答弁していればその場は取り繕えるのだ。その小泉総理の曖昧な姿勢は誰も非難できなかった。民主党も数では非力だから、どうにもならなかった。日本のマスコミはすっかり自民党に言い含められているから、彼の姿勢を非難すらしない。
 小泉総理にとっては、とんだ伏兵に出くわせた。大阪高裁での靖国参拝違憲判断が出された直後の総理へのインタビューで、総理は「まだ最高裁がありますから」と答えていたが、今回は事情が違うのだ。小泉総理にすれば、最高裁に持ち込まれれば、最高裁判事は保守が多いから、違憲判断は取り消されると読んでいたのだろう。
 問題は今後だ。今まで違憲の可能性があるにもかかわらず、曖昧な判断を示してきた最高裁の、選挙における定数問題がある。衆議院選挙ではほぼ2倍の1票格差を限度とする判断を、今後は厳格に貫くであろう。ひょっとすると、定数是正を行わずに次の総選挙を行おうとすると、その行為を違憲と判断する可能性が出てきた。
 今の自民党は単独でも衆議院の3分の2を持っているから、ちゃんと選挙法を改正しなさい、との暗黙の指示だ。そして今まで最高裁がためらってきた問題も数々ある。それらが今後、堰を切ったように判断されるであろう。
 議員だって法律違反を犯したら、もはや議員の資格はなくなる。それが憲法違反を犯したとなったら、犯した議員(この場合総理大臣だが)はもはや議員ではいられないはずだ。もし台湾人訴訟者が今回の大阪高裁の判決を上告しなかったら、小泉総理大臣の靖国参拝憲法違反ということが確定する。
 今まで小泉総理大臣は自分を織田信長に例え、明智光秀の登場に細心の注意を向けてきた。今回の総選挙勝利で、当面明智光秀の謀反役はいないと思った矢先の出来事だ。もし大阪高裁が明智光秀になったら、超面白いことになってくる。
 そうか。国会で小泉総理が「人生いろいろ、会社もいろいろ…」と人を小馬鹿にしたような答弁を行ったことがある。民主党の質問者もその言葉を訂正させる力はなかった。テレビ新聞もマスコミは、もはやマスコミとしても使命そのものを失っている。だれも小泉総理にたてつく者はいないと思っていた。それがいたのだ。裁判所の控え室でじっとテレビをみていて「調子こいとるな。総理だったら総理らしく真面目に答えろ」と呟いていた人たちがいたのだ。裁判官達だ。 
 小泉信長はいま、やっと敵の存在を感じつつある。

やっとか、って感じ民主党

 民主党代表に選出された前原氏は、「重要課題であいまいなまま放置しない」と述べた。郵政民営化法案で、自民党の対案を出さないまま中途半端な態度だったことを反省した言葉だ。彼がそのことを実行できるかどうかは、今後の推移を見ることにしたい。
 しかし、私はこのブログで何度この点を述べてきたことか。どうしてそんな基本的なことが、民主党大敗を経験するまで分からないのか。バカ、バカ、バカ! 前原氏だって、先の国会で執行部がとった「あいまいな態度」にたいして、我慢できずに旧執行部に詰め寄った、という話は聞いたことがない。前原氏だって、黙って傍観していたのだから、半分同罪ではないのか。
 しかい今となっては、前原氏が新しい代表になったのだから最低限、命だけは取り留めたと言っていい。菅氏は理論もしっかりし、実績もある立派な議員だ。しかし、前回、辞任間際の「自民党との年金協議のどたばた約束の罪」は大きかった。あの約束のためどれほど民主党がマイナスをこうむったことか。しかも自民党との約束を結んだ理由が、「菅氏の後継者に政策上の縛りをかける事だった」との私の推論が正しかったことは、その後の推移が証明している。
 また菅氏は岡田代表での総選挙での参謀を小沢氏や鳩山氏らと努めた。だったら今回の総選挙の責任の一端が菅氏にもあるはずだ。もっとはっきり言えば、国民の中に横路グループへのアレルギーがある。菅氏は横路氏の支援を受けているから、菅氏の代表は疑問が生じていたところだった。
 私は個人的には新民主党に以下の具体的な要望を持っていた。しかし前原氏の代表就任挨拶で、嬉しいことにそれらの点がほぼ網羅されていた。

郵政民営化に関する民主党案を、衆議院自民党が民営化法案を提出するまでに国会に提出すること。先の総選挙中に発表された管直人案でなく、総合法律案を提出すること。
②今後一切、連合の立場だけを優先する立場をとらないこと。
③小泉さんを見習い、今後は政党支持率を常に30%を維持すること。(正確を期するため5社平均値で)。 そして30%を下回ったら党首は交代すること。
④ 常に民意を政策に反映させること。
⑤当面の活動を次回参議院選挙に標準を合わせること。
⑥地方議員は地方独自の世論調査を行い、現職の議員がいる選挙区では、やはり30%以上の支持率を規準とし、継続し30%を割る議員は次回の衆議院参議院選挙では別の候補者をたてること。空白区は下げた規準値を設定すること。
⑦常に世論やマスコミに気を遣うこと。

 今回の総選挙は、民主党に壊滅的打撃を加えた。その基本的原因が民主党にあったことはいがめない。しかし、あれほどまでに自民党が圧勝した遠因には日本のテレビ局の姿勢があった。早い話、自民党をサポートするためのメディア化傾向を強めていたのだ。
 私は、公示日前後に朝日新聞の社説を批判した。明らかに朝日新聞が現政権に擦り寄る姿勢を強めたのだ。ただこれは朝日新聞の方針だから、一読者がとやかく言う問題ではない。編集権は新聞社側にあるのだ。また相対的には、他社に比較しても朝日の姿勢は民主的だ。
 しかし、私は朝日新聞に対して、我慢ならない気持ちを表すため、本日から朝日新聞の購読を止めた。
 朝日新聞しにてこの右傾化傾向だから他社は見るに耐えないことは言うまでもない。今後は既存の新聞社、テレビ局に対抗するため、ブログの特徴を生かし、ささやかながら既存メディアから独立する、新規動画配信メディアを支援したい。
 

’05総選挙の総括

 選挙は実績の評価を問う国民の判定である。決して将来展望の案の判定ではない。勿論政党マニュフェストは大事だ。しかし実績は事実の積み重ねであるから、前回のマニュフェストの検証の意味もあり、最重要点だ。
 この観点から、過去三年間を振り返ってみる。
 先ず民主党は、何を実行したのか、探さなければならない程少ない。スエーデン方式の年金案以外に見当たらない。一体民主党議員は過去の三年間、何をしていたのだろうか。
先の郵政国会では、党内議論もせぬまま、場あたり対策に終始した。総選挙に入り管直人さんが郵貯簡保の縮小案を発表したが遅すぎるし、部分的過ぎる。
 一方自民党は経済政策の成功が大きかった。不良債権問題をほぼクリアーした実績は評価されてしかるべきだろう。景気が上昇曲面にあるのも味方した。
 財政でいうと年間予算の約35兆が国債だ。借金である。この借金財政を非難するひとがいるが、庶民からすると、こんなありがたい政策はない。
 何故なら、もし35兆を消費税に換算したら15%になる。言い換えれば本来20%の消費税を払うべきところを、現行の5%で済んでいるのだから。
 ではそのぶん誰の負担になっているかと言えば、それはお金持ちの預貯金だ。例えば3千万預金しているかたは2千万を取られたと思って間違いない。
 え?3つの銀行に分散すれば3千万円が保護されるのでは? そう言われるかたは甘い予測だ。3千万も保護していたら、国債を発行しきれなくなる。だから将来は銀行口座の名寄せが行われて、10年後には1人1千万円の保護となるだろう。
 またこの観点からも政府にとっては郵政民営化は必要だったのだ。郵貯に政府保証をつけていたら、踏み倒しができないではないか。
 一般のかたは金融機関で民間も政府系もみな同じだと思っておられる。
 しかし中小の事業経営者は骨身に浸みて民間銀行の非情さを知っている。本当に頼れるのは政府系金融機関だけだというのは経験則だ。こと金融に関しては郵貯は信頼できるのだ。
 民間銀行で1千万、郵貯で1千万、合計2千万円の貯金保護があるところ。それが郵政民営化で、総額1千万の保護となるのだ。しかしそういった高額預金者が郵政民営化に賛成されていたのだから問題なしとしよう。しかしおせっかいかもしれないが、何千万円の預貯金のあるかたは郵政民営化に関心を持つ前に自分の蓄えの心配をしたほうがいいのでは、と思ってしまう。
「そんな馬鹿な。私の銀行預金が危ないなんて」とおっしゃるかた。ちなみに全員が預金を引き出してごらんなさい。翌日、日本は音を立てて倒れます。
 ともあれお金持ちに負担を負わせる自民党の政策は大衆に受けないはずはなかった。
大衆が関心があるのは、景気、物価、税金の3点だ。このどれもが、まずまずのポイントをかせい自民党が総選挙で勝利するのは、ごく自然なことだ。
 だから民主党の敗北を、岡田党首の能力不足、選挙戦術のまずさ、労組の支援の弱さ、民放テレビ局が自民党をサポートしたこと、などをあげることはできるが本質ではない。
 そもそも今回の総選挙はやる必要のない選挙だった。仮に次の国会で郵政法案が衆参両院で通過したとしよう。その時、「やっぱり選挙をやったから成立した」と言われるかたがいよう。
しかし先の国会で、衆議院では郵政法案は通過し、参議院でも自民公明で過半数を持っていたのだ。党内議論を尽くせば、ごく自然に通過していた法案なのだ。
 だから今回の総選挙が終わっても、以前と何も変わることはない。1ヵ月前の状態に戻っただけだ。高い観劇料を払って「刺客劇」を楽しんだだけだ。
 今回の総選挙で変化あったことと言えば自民、民主両党とも、支持基盤があいまいになりつつあることだ。
 民主党は今回、連合が動くかにみえた。笹森会長は郵政法案の恩義もあり、民主党を無条件支持した。
 しかし下部組織が必死に動いた形跡はない。それは民主党が少しずつ市民政党になりつつあることを感じ始めているからだ。
 早い話、労働組合の存在感が薄れつつあるのだ。事実、企業のリストラに対し労組は無力だ。労組の役割があるとすれば、退職手当の交渉をする程度だ。リストラそのものの抵抗機関ではなくなっているのだ。
 このことは民主党を市民政党に変化させる要素だ。民主党は今労組依存政党から市民政党に変わる転換期にあると言える。
 一方の自民党も、従来の農協、漁協や中小企業組合からの基盤政党から脱却しつつある。両党とも市民政党への舵取を余儀なくされている。
 従来は固定支持基盤があったから、日常の政党活動での甘さは許された。今後はその都度、激しい批評に晒されるのを覚悟しなければならない。日常の政治活動の報告ツールにおいても、インターネットの動画配信が今後使用されるであろう。(民主党にとっても、今回の選挙で動画配信を大々的に利用していたら、時代の先取りと讃せられたであろうに。)
 今、外国資本の進出が著しい。生命保険業界はその波をまともに被った。次に狙われているのはサラリーマン金融業界だ。既に既存サラ金会社を買収して、低利融資に乗り出している。 まさに「金融黒船」の来航だ。郵便貯金からあふれ出すであろう資金をめぐって金融界はまさに黒船騒動のはじまりである。
 しかし他方、メキシコ湾ハリケーンが吹き荒れた後、ニューオーリンズの街での略奪風景を目にすると、殺伐とした気持ちになる。その同じアメリカ人が、イラクでどさくさに紛れて、同様な行為をしていない保証はない。私の思い過ごしであろうか。